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米原万里『魔女の1ダ−ス ― 正義と常識に冷や水を浴びせる13章』(新潮社・新潮文庫) 目次 プロローグ 第1章 文化の差異は価値を生む 第2章 言葉が先か概念が先か 第3章 言葉の呪縛力 第4章 人類共通の価値 第5章 天動説の盲点 第6章 評価の方程式 第7章 ○○のひとつ覚え 第8章 美味という名の偏見 第9章 悲劇が喜劇に転じる瞬間 第10章 遠いほど近くなる 第11章 悪女の深情け 第12章 人間が残酷になるとき 第13章 強みは弱みともなる エピローグ amazon 紀伊国屋書店 第4章のP.88-91から 民謡の「ホイホイ」という合いの手にレニングラード・フィルの楽団員が笑いころげたという話。 「ホイ」は、男根を意味するロシア語の俗語の響きと非常に似通っているとのこと。 「エビス」は、ロシア語ではfuckの命令形に相当するとのこと。 著者の妹がイタリアに料理留学していたときに、イタリア人のコックから、 「日本ではスープのだしを何でとるのか」 と尋ねられ、 「カツオという名の魚の乾物で」 と答えると、一瞬怪訝な表情と沈黙があった後、ドッと笑いころげたという話。 「カツオ」は男根を意味するイタリア語の響きに限りなく近いとのこと。 「カカア」とはロシア語で「うんこ」とのこと。 これらの記述の後に、以下のように書かれているのだが、卓見であり、真理だと思う。 ーーーーー ・・・こういう異言語間の音韻上の駄洒落すなわち偶然の一致や類似は、なぜかシモネタに多いのである。そう感じるのは、わたしの個人的な素養のせいかもしれない、と長い間思いこんでいた。記憶の網に濾過されて残る知識の多寡は、やはり関心の度合いに比例するのだからと。 しかし最近客観的な原因を発見して膝を叩いた。・・・ そもそもシモネタ関係は、いかなる言語においても極めて語彙が豊富なのである。・・・ しかも、シモネタに限らず日常的で身近な事物を表す単語は、これまたいかなる言語においても短い、すなわち音節数が少ない。 この二つの理由によって、遠く離れた異なる言語の単語間において生じる偶然の音韻的一致や類似が、シモネタ系の言葉に生じる確率の高さが条件づけられるのである。 ーーーーー 読者も膝を叩くことであろう。 |
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