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著作権法20条の解説( 7/12)

(1999.4作成)

パロディ、表現の自由との関係
1 20条1項を無制限に適用すると、表現の自由を大きく制約するおそれがある。「多くの学説は、表現の自由の保護の要請は著作権制度にとって外在的な制約にすぎないものではなく、著作権法内部において実現されるべきものととらえ、「やむを得ない改変、あるいは独立著作物として一定の無許諾利用をも正当化すべきことを提案している。」とされる(小泉・前掲109頁)。
2 既存の作品を利用するもので、しかも、その利用が既存の作品の著作者の意思に沿わないことが多いものとして、パロディ、もじり等がある。
 立法担当者によれば、「既存の原作をパロディ化したり、もじったことが一見して明白であり、かつだれにもふざけ茶化したものとして受取られ、原作者の意を害しないと認められる場合については、形式的に内面形式の変更にわたるものであっても、同一性保持権の問題」は生じないとされる(加戸133頁以下)。
 しかし、「原作者の意を害しないと認められる場合」には、「意に反する」改変に該当しないことになるのであり、問題は、むしろ、原作者が歓迎しないような利用ないし原作者の意に沿わない利用についてである。
3 例えば、フランスでは、著作物が公表された場合には、著作者は、著作者の名前及び出所を明示することを条件として、「もじり、模作及び風刺画」(「ただし、当該分野のきまりを考慮する。」)を禁止できないとされ(知的所有権法典122の5条四、著作権情報センター「外国著作権法令集(18)」による。)、スペインでは、「公表された著作物のパロディは、それが当該著作物と混同されるおそれを有しないもので、かつ、原著作物またはその著作者に損害をもたらさないときは、著作者の同意を要する変形物としない。」とされている(知的所有権法39条、著作権情報センター「外国著作権法令集(22)」による。)。
4 なお、アメリカ合衆国では、フェアユース(公正な利用、著作権法107条)に該当するかどうかという形で判断されるが、連邦最高裁は「プリティ・ウーマン事件」判決(1994年3月17日)において、「表面上ユーモアの少ない批評の形式と同様に、パロディは、先行の作品に光をあてることによって、また、新たな作品を作る過程において、社会的な利益をもたらすものである。」、「パロディは、何かを主張するため原作品をまねることが必要なので、その犠牲者(又は犠牲者集団)の想像力から作られたものの利用を要求する資格がある。」とするなど、パロディの文化的・社会的有用性に深い理解を示した(SLN56号など参照。Cambell v. Acuff-Rose music Inc., 114 S.Ct. 1164 (1994))。
5 これに対して、日本の最高裁はマッド・アマノ事件第1次上告審判決(最判昭和55年3月28日判決民集34巻3号244頁)において、原作品の本質的な特徴を直接感得しうるとして同一性保持権の侵害を認めたが、パロディの文化的・社会的意義を正当に評価していないきらいがあると言うべきである。
 パロディ、もじり、本歌どりなどは、文化の豊かさを示すものであり、これらの創作を禁圧することは文化の発展を阻害することにつながりかねない(椙山敬士「マルチメディア慣習法」パテント49巻7号1頁<http://www.ne.jp/asahi/law/y.fujita/copy_r/mm_cl.html>参照)。
 パロディ等の文化的・社会的価値からすれば、パロディ等に既存の著作物を利用すること(改変して利用すること)は、20条4号の「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に該当するものとして同一性保持権を侵害しないものと解すべきである。原著作物との混同を招くような利用の態様は、利用の「目的及び態様に照らしやむを得ない」と判断されないことになる。
6 なお、田村・概説は「著作者が許諾をしたがらないようなジャンルの作品であるということは、著作者の人格的利益が損なわれる可能性が高いということを意味しており、まさにそのことを理由に著作者人格権を制限することは、少なくとも現行法の解釈論としては無理がある。」などとし、「立法論としてはともかく、解釈論としては、・・・著作物以外の事件を風刺しており、しかも、そのために当該著作物を利用する必然性があるという例外的な場合に限って、パロディ目的の改変を20条1項4号にいうやむを得ない改変と認めていく」と述べている(365頁)。
 しかし、第1に、同書自体が「著作者の精神的利益を保護する同一性保持権といえどもわがままを許す権利ではない」(357頁)とするなど、著作者の意思を絶対化していないのであるし、また、パロディ化されたり批判的に利用されたりすることを禁じる意思が絶対的に尊重されるべきものとは思えない。第2に、パロディのための利用が上記のような場合に限定されるとすれば、文化の豊かな発展が阻害され、結局は「文化の発展に寄与することを目的とする」(1条)という著作権法の目的が達成できないと思われる。
7 また、染野啓子「パロディ保護の現代的課題と理論形成」法律時報55巻7号35頁は、@「利用される原著作物が、社会的共有財産を考えられる程度にまで著名となっていること。」、A「利用する側の著作物が、原著作物それ自体を揶揄、嘲笑するものであってはならないこと。原著作物の価値そのものを損う利用はパロディとはいえないからである。」、B「原著作物を通じて社会的に形成されている固定的観念を破壊、風刺、揶揄するものであること」、C「利用する側の著作物が単なる笑いを引き出すためのものではなく、芸術的、思想的な問題提起を目的とするものであること。」、D「利用する側の著作物が「独立性」をもつもの、すなわち、パロディスト自らの個性をあらわすものとして内容および形式上完成されたものであること。」E「利用する側の著作物が、芸術的、思想的に優れたものであること。」、F「パロディの目的を達成するために必要最低限の、やむをえない改変であること。」のような「要件を備えたパロディであるならば、形式的同一性保持権の損傷が多少存在しても、実質上同一性保持権を損わないものとして、許容される余地があるのではないかと思われる。」としている。
 しかし、BないしEのような要件ないし判断基準を設定することは、文化的・思想的・芸術的価値などの判断を裁判所に求めることになり、文化・思想・芸術などの発展の阻害要因になる危険がある。
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