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杉並区・住基ネット訴訟 控訴理由書から(1/9) プライバシー権の保障の歴史的意義・現代的意義

(2006.5)

第2章 住基法の解釈についての原判決の誤り(その1)−合憲的限定解釈論

 第1 はじめに

 以下においては,まず,「第1」において,プライバシー権が,従来は「ひとりで放っておいてもらう権利」として把握されてきたが,情報技術が発達した現代社会においては,そのような把握のみでは不十分となり,自己情報コントロール権を含む重要な基本的人権として把握されるようになったこと,そのようなプライバシー権(自己情報コントロール権)が憲法13条によって保障されることについて述べ,次いで,「第2」において,住基ネットにおいて送信される本人確認情報に要保護性が認められるものであること,行政との関係での利便性よりも,住基ネットからの個人情報の流出等の危険を重視しようと考える住民については,住基ネットにおいて本人確認情報が送信されることは,それら住民の自己情報コントロール権を侵害するものであり,後述のOECD8原則との関係で問題があること,住基ネットの目的や必要性は,それら住民の自己情報コントロール権を犠牲にしてもなお達成すべきものとは評価できないことを述べる。
 その上で,「第3」において,住基法30条の5第1項を憲法13条に適合するように合憲的限定解釈をすれば,それら住民の本人確認情報については,区長は東京都知事への通知義務を負わないと解すべきであることを述べる。

 第2 プライバシー権(自己情報コントロール権)の憲法による保障

  1 プライバシー権の保障の歴史的意義・現代的意義

  (1)プライバシー権は,全体主義の経験を歴史的背景として成立し,近代立憲主義そのものを根源的基礎として成立した極めて重要な権利である。
 この点については,例えば,佐藤幸治教授が,プライバシー権は「当初不法行為法上の観念として登場し,そこでは『不可侵の人格』の保護にかかわる,『ひとりで居させてもらいたいという権利』として把握された。が,全体主義の経験をその一般的背景として,この権利は,人間の実存と創造性にかかわるものとして,公法の領域でも妥当すべきものと解されるに至った。」(佐藤幸治『憲法 第三版』(現代法律学講座)453頁以下),「世界人権宣言12条に『何人も,自己の私事,家族,住居若しくは通信に対して,ほしいままに干渉され・・・ることはない』とあるのも,このような全体主義の経験に根拠してのものと解される。」「近代憲法で,『孤立への権利』ないしプライバシーの権利を明文上保障したものはない。しかし,近代立憲主義は元来『公的領域』と『私的領域』とを区別し,両者のそれぞれの評価の上に成立するものであってみれば,近代憲法がプライバシーの権利と無縁であるということはできず,むしろプライバシーの権利成立の根源的基礎はこの近代立憲主義そのものにあるといわなければならない。」(佐藤幸治「プライバシーの権利」清宮四郎ほか編『新版 憲法演習1』(有斐閣ブックス)240頁以下,242〜243頁)と述べているとおりである。

  (2)このようなプライバシー権は,従来は「ひとりで放っておいてもらう権利」として把握されてきたが,情報技術が発達した現代社会においては,そのような把握のみでは不十分となり,自己情報コントロール権を含む重要な基本的人権として把握されるようになった。
 この点についても,例えば,佐藤幸治教授が,「現代社会の特徴を示す一つとして,“情報化社会”とか“データ・バンク社会”とかが指摘される。・・・現代社会において情報の意義が増大し,その取扱いをめぐって様々な問題が存するであろうことが示唆されている。実際,現代積極国家はきめこまかな行政という要請を随伴し,それに応えるべく国家は個人についての多種多様な情報の収集・保管・利用のシステムの形成に腐心し,『行政調査権(power of administrative investigation)の拡大ほど,この50年における政府職能の著しい拡大を法の領域において如実に例証してくれるものは多分ないであろう』(Jaffe and Nathanson,Administrative Law 491 [2nd ed. 1961])という指摘を生みだすにいたった。のみならず,各種私的組織も,それぞれの目的に応じた個人に関する情報に特別の関心を示すにいたった。このような公的および私的組織における個人情報への関心は,コンピュータの導入とその技術の進展にともなって一層増幅され,個人をして従来にみられなかったような新たな生活環境にたたせることになった。すなわち,従来は,個人についての情報収集量が限定され,被収集情報も分散され,利用されうる情報は比較的表面的なものにとどまり,また収集されている情報を入手することは容易でなく,さらに大部分の人々には収集されたデータを解釈し,それらから意味のある情報を引きだすことが不可能である,といった事情が存在したが,各種の情報収集技術やコンピュータの登場によってそのような事情が失われ(Arthur R.Miller,The Assault on Privacy 26[1971]),個人は“裸の社会(naked society)”といわれるような状態に投げだされたのである。こうした状況は,個人の自由にとって当然に大きな問題を投げかけるものであり,通常″プライバシーの危機″として語られる。」(前掲「プライバシーの権利」241〜242頁)と指摘しているとおりである。


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