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杉並区・住基ネット訴訟 控訴理由書から(2/9) 憲法13条によるプライバシー権の保障


  2 憲法13条によるプライバシー権の保障

 (1)人権とは,人間が人間として生きてゆくための不可欠な権利であり,人が生まれながらに当然にもっている権利であるとされるが,その根底にあるのは,個人の尊重の原理であり,日本国憲法13条は,前段でこの原理を明記するとともに,後段で「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」について定めている。
 憲法は,14条以下において個別の人権規定を置いているが,保障されるべき人権が14条以下に列挙されたものに限定されるべきだとする必然的な理由はない。また,保障されるべき人権が14条以下に列挙されたものに限定されるべきだとすると,14条以下の規定以外にわざわざ「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」についての定めを設けた意味がなくなる。さらに,憲法が,社会の状況の変化に応じて保障されるべきことになる人権を一切認めないという硬直的態度を取っているとも考えられない。

 (2)したがって,14条以下に列挙された人権は歴史的に国家権力によって侵害されることの多かったものを列挙したものにすぎず,保障すべき人権を限定列挙したものではないと一般に解されている。それゆえ,社会の変化にともない,「個人の人格的生存に不可欠な権利自由」として保護するに値すると考えられるようになった権利は,憲法13条の「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」に含まれる「新しい人権」として保障されると一般に解されている。   

 (3)プライバシー権は,そのような「新しい人権」として憲法13条によって保障されているのであり,判例上,このようなプライバシー権については,「@私法上のプライバシー権の承認から憲法上のそれの承認へと進み,また,A個人的・消極的権利としての性格の強い『ひとりで放っておいてもらう権利』というプライバシー概念から,より積極的な『自己に関する情報をコントロールする権利』というプライバシー概念をも認める方向に変化してきている。」と指摘されているものである(芦部信喜『憲法学 U 人権総論』373頁)。
 そして,学説上も,「広義のプライバシー権にその重要な柱の一つとして,自己に関する情報の流れをコントロールする利益が含まれることは明らか」(芦部前掲379頁)であり,「わが国では,自己情報コントロール権説が多数説と言ってよかろう」とされている(芦部前掲388頁注(12))。
 この点については,金沢地裁平成17年5月30日判決<平成14年(ワ)第836号,平成15年(ワ)第114号>(以下,単に「金沢地裁判決」という。)(甲29)が,「他者に知られたくない個々人の私生活上の情報がみだりに他者に開示されたり,他者が私事に属する領域に侵入してくる場合には,個人の私生活における平穏が侵害されるのみならず,自らの生き方を自らが決定するという人格的自律を脅かされることとなるから,このような,私事の公開・私生活への侵入からの自由としてのプライバシーの権利は,憲法の基本原理の一つである「個人の尊重」を実現する上での要となる権利の一つであって,単に,不法行為法上の被侵害利益であるに止まらず,いわゆる人格権の一内容として,憲法13条によって保障されていると解すべきである。」(56頁)とした上で,「近年,IT(情報技術)の急速な発達により,コンピュータによる膨大な量の情報の収集,蓄積,編集,伝達が可能となり,またインターネット等によって多数のコンピュータのネットワーク化が可能となった。公権力や一般企業においては,これらを利用して広範な分野にわたる個人情報が収集,蓄積,利用,伝達されているところ,このようなデジタル情報は,半永久的に劣化しないで保存できること,瞬時に複製,伝達できて,短時間に爆発的に増殖させることができること,複製されても,そのことが容易には判らず,伝達先を把握することはほとんど不可能であること,書き換えも容易であり,書き換えられていることが外観上は判らないこと等の特性があり,一般の住民の間には,自己の個人情報が自己の知らぬ間に収集,利用されることについては,これが漏洩等によって拡散し,悪用され,自己の私生活の平穏が侵害されることへの不安が高まっており,実際に,個人情報の大量漏洩や個人データの不正な売買といった事案が相次いで社会問題化しており,住民の間に強い不安をもたらしている。このような社会状況に鑑みれば,私生活の平穏や個人の人格的自律を守るためには,もはや,プライバシーの権利を,私事の公開や私生活への侵入を拒絶する権利と捉えるだけでは充分でなく,自己に関する情報の他者への開示の可否及び利用,提供の可否を自分で決める権利,すなわち自己情報をコントロールする権利を認める必要があり,プライバシーの権利には,この自己情報コントロール権が重要な一内容として含まれると解するべきである。」(56〜57頁)としているとおりである。

 (4)原判決は,「原告が主張する自己情報のコントロール権は,内容が不明確であり,それ自体憲法13条によって保障されるか疑問があるというべきである。原告が主張するような個人情報の憲法上の保護としては,後記のようにプライバシー権の問題として検討されるべきである。」(80頁)としているが,第1に,プライバシー権が「ひとりで放っておいてもらう権利」から「自己情報コントロール権」に発展してきた歴史的経過を無視するものである。
 また,原判決は「原告が主張する自己情報のコントロール権は,内容が不明確であり」,「プライバシー権の問題として検討されるべきである。」としているが,そもそも憲法上の権利の多くについて保護される範囲は必ずしも一義的に明確でないことがありうるのであり,プライバシー権についても,具体的な状況等に応じて保障される範囲が異なりうるのである。憲法上保障されるに足りるほど内容が明確であるかにつき,プライバシー権については明確であるが自己情報コントロール権については不明確であるという区別には合理性はない。

 (5)原判決はコントロール権が認められる自己情報の外延が明らかでないとする趣旨かも知れないが,それについては,金沢地裁判決が,「ところで,コントロール権が認められる情報としては,思想,信条,宗教,健康等にかかわるいわゆるセンシティブな情報を挙げることができるが,その外延は明らかでない。しかし,それは,今後の具体的な事例の積み重ねの中で自ずと明らかになっていくもので,外延が明らかでないからといって,自己情報コントロール権自体を認めるべきではないとは解せられない。また,自己情報コントロール権から派生すると解されている開示請求権,訂正請求権がいかなる場合にいかなる要件で認められるかは困難な問題であるが,これも具体的な事例の中で検討されるべき問題であって,これが明確でないからといって,自己情報コントロール権自体を認めるべきではないとは解せられない。」(57頁)と述べているように,具体的な事例により保障範囲が決められるべきものである。

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