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掲示板への投稿 平成14年10月29日 東京高裁 判決(1/2)

平成14年10月29日 東京高裁 判決 <平14(ネ)2887号 ・ 平14(ネ)4580号>
著作権侵害差止等請求控訴、同附帯控訴事件
(原判決変更、一部認容)

事案の概要
XYZが設置,管理するホームページ上の掲示板に文章を書き込んだ被控訴人らが,同人らが書き込んだ文章の一部を複製(転載)して書籍を作成し,出版,販売頒布した控訴人ら及び出版社に対し,同人らの行為は被控訴人らが上記文章につき有する著作権を侵害するとして,上記書籍の出版等の中止及び損害賠償金の支払などを請求したのに対し,原判決が,上記侵害を認めて,被控訴人らの請求を,金員支払請求の一部を除いて認容したため,控訴人らがこれを不服として控訴を提起し(出版社は控訴を提起しなかったため,原判決が確定),被控訴人らが認容額を不服として附帯控訴をした事案

裁判経過
第一審 平成14年 4月15日 東京地裁 判決 平13(ワ)22066号

出典
裁判所サイト、ウエストロー・ジャパン

評釈
上野達弘・ジュリ別冊 179号238頁(メディア判例百選)
西村純正・NBL別冊 79号56頁
井奈波朋子・著作権研究 30号199頁
岡邦俊・JCAジャーナル 50巻5号70頁

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 1  原告各記述部分の著作物性について
   (1) 著作権法 において,著作物とは,「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(著作権法2条1項1号 )と定義されている。同規定によれば,ある表現が著作権法 上の著作物として同法 の保護を受ける著作物であるというためには,それが,「文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」であること(この要件は,主として実用品について問題となるものであり,本件では問題とならない。)に加えて,それが,@思想又は感情の表現であること,A創作的表現であること,すなわち創作性を有すること,が必要である。単なる事実の記述は思想又は感情の表現であるということはできない。もっとも,単なる事実の記述のようにみえても,その表現方法などから,そこに筆者の個性が何らかの形で表われているとみることができるような場合には,思想又は感情の表現があるとみて差し支えない。
 著作物と認めるためのものとして要求すべき「創作性」の程度については,例えば,これを独創性ないし創造性があることというように高度のものとして解釈すると,著作権による保護の範囲を不当に限定することになりかねず,表現の保護のために不十分であり,さらに,創作性の程度は,正確な客観的判定には極めてなじみにくいものであるから,必要な程度に達しているか否かにつき,判断者によって判断が分かれ,結論が恣意的になるおそれが大きい。このような点を考慮するならば,著作物性が認められるための創作性の要件は厳格に解釈すべきではなく,むしろ,表現者の個性が何らかの形で発揮されていれば足りるという程度に,緩やかに解釈し,具体的な著作物性の判断に当たっては,決まり文句による時候のあいさつなど,創作性がないことが明らかである場合を除いては,著作物性を認める方向で判断するのが相当である。
 ある表現の著作物性を認めるということは,それが著作権法 による保護を受ける限度においては,表現者にその表現の独占を許すことになるから,表現者以外の者の表現の自由に対する配慮が必要となることはもちろんである。このような配慮の必要性は,著作物性について上記のような解釈を採用する場合には特に強くなることも,いうまでもないところである。しかし,この点の配慮は,主として,複製行為該当性の判断等,表現者以外の者の行為に対する評価において行うのが適切である,と考えることができる。一口に創作性が認められる表現といっても,創作性の程度すなわち表現者の個性の発揮の程度は,高いものから低いものまで様々なものがあることは明らかである。創作性の高いものについては,少々表現に改変を加えても複製行為と評価すべき場合があるのに対し,創作性の低いものについては,複製行為と評価できるのはいわゆるデッドコピーについてのみであって,少し表現が変えられれば,もはや複製行為とは評価できない場合がある,というように,創作性の程度を表現者以外の者の行為に対する評価の要素の一つとして考えるのが相当である。このように,著作物性の判断に当たっては,これを広く認めたうえで,表現者以外の者の行為に対する評価において,表現内容に応じて著作権法 上の保護を受け得るか否かを判断する手法をとることが,できる限り恣意を廃し,判断の客観性を保つという観点から妥当であるというべきである。

   (2)  原判決は,別紙原告記述及び転載文一覧表の原告記述欄1@,2−(2)A,2−(2)B,2−(3)@ないし2−(6)A,2−(6)Cないし2−(7)C,3−(3),5−(2),5−(3)Aないし5−(4)B,5−(6)A,5−(13)@,5−(16)@,5−(20)@ないし6−(1)B,6−(2)A,7−(2)@,7−(2)A,7−(2)C,7−(2)D,7−(3)@,7−(6)@ないし7−(6)B,7−(9)ないし8@,10A,11−(1),11−(3)Aの各記述部分について,同表転載文欄記載の転載文中に,一部分が省略された形で転載されているため,転載された部分ごとに分けて,それぞれ著作物性を判断し,一部分につきその著作物性を否定した。しかしながら,原審の上記判断は,その判断手法自体に問題があるというべきである。まず,被控訴人らは,原告各記述部分の著作物性を主張するに当たり,一次的には,それの属する原告各記述(例えば,上記一覧表の原告記述欄2−(1))それぞれの全体が,一個の著作物であり,それの一部として著作物性を有すると主張しているものと理解するのが相当である。そうである以上,著作物性の有無の判断は,まず,これらそれぞれの記述全体について行われるべきである。そして,上記(1)で述べた解釈に照らすと,原告各記述は,一個の記述全体としてみたとき,いずれも記述者の個性が発揮されていると評価することができるから,これに対しては,著作物性を認めるのが相当である(このことは,仮に,各番号ごとの一個の記述全体を構成する部分の中に,それだけを取り出して評価すれば創作性の認められないものが含まれていたとしても,影響を受けるものではない。極論すれば,全体としては創作性の高い著作物であっても,それを構成する部分に細かく分けていって,各部分のみを独立に評価すれば,多くの場合,その中に創作性の低いもの,場合によっては,上記(1)の基準によっても創作性を認めることの困難なものが出てくることは,避けられないであろう。)。
 次に,上記一覧表によれば,上記各記述部分は,いずれもさほど長いものではないこと,分けられて転載された部分同士が近接していることが認められることを考慮すると,上記各記述部分については,全体として一個の転載行為がなされたものとみるべきであって,転載行為についての評価も,転載文全体を単位として行うのが相当であり,転載された部分ごとに分けて行うのは相当でないというべきである。
(続く)

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