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U氏事件・控訴審・第1準備書面から(5/5)

 これらのように,従来の裁判例は「常に介護を要するとき」の解釈につき原判決のような狭い理解をしていないのであり,原判決の理解は不当である。

  原判決は「原告SK及び被告SHは,食事や排尿便を構成するひとまとまりの行為につき,『介護が必要であった』か『自力で行えた』かの判断が行われるべきものであり,ひとまとまりの行為のうちの一部のプロセスにおいて介助者の行為が必要であったのであれば,『介護が必要であった』という判断をすべきであると主張するが,独自の主張であって採用することができない。」としているが、「食事」という営みの一部のみが自力で行えたとしても、それは、社会通念上、「食事」を自力で行えたとは表現しないのであり、原判決こそ独自の理解をしていると言わざるをえない。

 原判決は、「訴外Uは,当初入院した柴病院において,暫くの間意識障害が続いたが,次第に症状改善が見られ,リハビリ等の機能訓練を開始し,その後,平成14年4月2日に,リハビリ目的で塩原病院に転院し,介助者が食器・食物を選定すれば自力で食物の摂取ができるようになり,同年5月21日に入院した比企病院では,食事の摂取訓練を受けることにより,飲み物は自力で飲むことができ,食物は介助者がスプーンを持たせてあげさえすれば時間をかけることにより摂取できるようになり,また,簡単な日常会話を交わすこともでき,左半身を自力で動かすことができるようになったというのであるから,平成14年4月22日の時点において,訴外Uが高度障害状態の症状固定に至っていたとは到底いえず,むしろ回復途上にあったということができる。」(22〜23頁)としているが、症状の全体的経過についての総合的考察を欠いていると言わざるをえない。

 訴外Uは、当初の重篤な脳障害から奇跡的に快方に向かい、原判決が認定するとおり「同病院(S病院)入院時から約2年間にわたり意識障害が続いたが,その後次第に症状が改善した」のであり、意識障害が改善された後、約2年4か月経過し、S病院としては、これ以上は改善を期待できないとして、S温泉病院に転院させたのである。救命のための懸命な努力をし、約4年4か月にわたって診療を続けてきたS病院の医師が治療効果が期待できるのにS温泉病院に転院させるはずがなく、その症状固定と転院の判断は約4年4か月にわたる経過の総合的考察に基づくものである。

 S温泉病院では期待したほどの療養が確保できなかったため、すぐにH病院にさらに転院することになったが、H病院で訴外Uの病状は目立った改善はなかったのである。つまり、離床が期待できる可能性はおろか、食事・排泄等の日常生活上の動作を自力で行えるようになる可能性はなかったのである。

 H医師は、平成14年5月21日に訴外Uを診察し(H証人調書1頁)、その段階で「それまでの経過を見まして、症状は固定しているんだろう」と判断したのであり(H証人調書7頁)、7月24日までは医療病棟に訴外Uを入れていたものの、それ以後は介護病棟に移したのである。そして、「H病院に入院してから亡くなるまで、運動機能についてはほぼ同じ状態だった」、「改善は全然得られない」としているのである(H証人調書14頁)。そして、結局、介護病棟に移してから約7か月半後である平成15年3月8日に訴外Uは死亡したのである。

 この経過の全体を正当に考察すれば、約4年4か月にわたる経過を踏まえたS病院のI医師の判断こそが尊重されるべきであり、そして、H医師も「I先生の言っていることは、ずっと彼が診ておったと思いますので、彼の判断は、そんなにこちらで異議を申し立てるような問題はないと思います。」(H証人調書9頁)とI医師の判断を是認しているほか、前述のように、H病院に入院中に改善は見られなかったと証言しているのである。

 症状の改善が基本的に見られない場合でも、細かい症状は日々変動することもありうるであろうし、微視的に見れば少し改善しているように見える場合もありうるかもしれないが、平成9年12月10日の発症から平成15年3月8日の死亡までの約5年3か月の経過を全体的に考察すれば、最初の約2年間の重篤な時期を経て、発症後約4年4か月の時点までで、改善が期待できるところまでは改善できたと判断すべきであり、その後は基本的な改善は得られなかったと判断すべきなのである。


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